引佐人形劇まつり(浜松)
横尾歌舞伎(引佐町/浜松市/静岡県)
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現在の開明座
現在の開明座(平成10年完成)
横尾歌舞伎の概要・歴史 江戸時代以来200年間連綿と続いてきた伝統、18カ所もの舞台(引佐町内)
 

引佐町で現在演じられている農村歌舞伎は横尾歌舞伎のみですが、引佐町内には横尾歌舞伎を上演する開明座をはじめ、現在でも十カ所以上の歌舞伎を演ずることが出来る舞台があります。

回り舞台を持つ舞台も狩宿(かりしゅく)地区に現存し、最盛期は引佐町に十八カ所もの舞台がありました。

このことからも引佐町がいかに農村歌舞伎(芸能)の盛んなところだったかが分かります。

静岡県内において、農村歌舞伎は盛んで湖西市や浜松市北区佐久間町・浜松市西区雄踏町など県西部の数カ所で伝承されていますが、いずれも長く中断した後、近年復活されたものです。

江戸時代以来、絶えることなく(戦中・戦後の混乱期を除く)伝承されてきた農村歌舞伎は横尾歌舞伎だけです。
全国的に近年 農村歌舞伎が復活して行われているようですが、横尾歌舞伎のように途切れなく行われているケースはかなり珍しいようです。

昭和49年(1974年)に地域を代表する貴重な民族芸能として静岡県の文化財指定を受けました。



1. 横尾・白岩地区の狂言の発生

横尾歌舞伎が一体いつ頃から始まったものか、はっきりしたことは分かりません。

しかし、白岩地区に伝わる寛政六年(1794)十月の御定書に
「神事の節又は盆中に『狂言』、『あやつり』、或いは『にわか』等決して致すまじき事」とあります。

この狂言とは歌舞伎のことですから、既にこの頃には村内で行われていたことが推測されます。かれこれ200年以上も前から歌舞伎をやっていたものと考えられます。

江戸時代、横尾と白岩の歌舞伎はそれぞれ独立していて、成立と経過が異なりました。

白岩では御定書に見られるように、かなり早い時期から白岩狂言として行われていました。

現存する台本の中には、安政三年(1856)に白岩の青年達が入手したと記されているものもあります。

横尾狂言も江戸時代から行われており、白岩の組立舞台に対して、常設舞台が設けられていたと伝えられています。

時代は明治に改まり、横尾の舞台は廃寺跡の独立敷地に再建されました。当時は 回り舞台 があったと言うことで、かなりの賑わいを見せていたであろう事が推測されます。

舞台の名称は開明座と呼ばれていますが、文明を開く、すなわち明治時代を象徴する文明開化にちなんで命名だれたといわれています。

また、明治四十四年(1911)には両地区の青年団が統合され一緒に狂言を行うようになりました。


歌舞伎
2. 戦中戦後の横尾・白岩狂言

太平洋戦争の時、横尾・白岩狂言は昭和十八年(1943)から一時中断しておりました。舞台も軍宿舎として接収され、回り舞台が外されました。

戦後すぐ昭和二十二年(1947)に再開され、戦後復興、地域の連帯意識の回復に大きな成果がありましたが、占領政策や物質的な窮乏もあり昭和二十五年(1950)から三十八年(1963)までは開催されなかった年もありました。

この間、昭和二十八年(1953)年 井伊谷村と金指町が合併し引佐町となり、昭和三十年(1955)他の三村を編入し、かつての引佐町(現在は浜松市)が誕生しました。


3. 横尾・白岩狂言の復興

このような低迷から抜け出すきっかけとなったのが、昭和四十年(1965)の「引佐町芸能保存協会」結成でした。

それまでの江戸時代から明治、大正、昭和にかけてのどの時代も、歌舞伎の担い手は青年であり、若者組を作り歌舞伎を運営してきました。

横尾・白岩地区に生まれ育った青年は、この若者組に所属し、舞台に立つことが半ば義務づけられていました。この義務を怠ると風呂焚きの制裁が加えられました。

また歌舞伎を行うにも、青年達だけで勝手にできるものではなく、役割などすべてに古老によって決められていました。

このように、地区の構成員全員が参加するという原則が守られ、それはあくまでも横尾の八柱神社、白岩の六所神社への奉納芸能として伝承されてきたのです。

ところが、引佐町芸能保存会発足により、それぞれの個人の意志で歌舞伎に参加することとなったのです。

このような個人加入の組織になり、地区の構成員全員が参加するという原則ではなくなりました。これも時代の成り行きでありましたが、それでも歌舞伎の伝統は保存会が前面にたって、これに東四村自治会がタイアップし、現在まで何らかの形でかっての全員参加の状態が保たれています。

また、保存会を介し他の地区とも助け合っていくようになりました。

楽屋にて(旧開明座) 立ち稽古(旧開明座)
ほっと一息 楽屋にて
立ち稽古風景
平成7年公演 一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) 旧開明座にて

4. 現在の横尾歌舞伎

横尾歌舞伎は役者、太夫、三味線弾きから、振り付け、大小道具の製作・設置、勘亭流の書体によるポスター作りに至るまで、すべて地区の人たちの手でまかなわれています。

そして江戸時代以来の台本、衣装、かつら等含めて何から何まで自給自足で行われていることが横尾歌舞伎の特徴となっています。総合芸能である歌舞伎は、音楽も非常に重要です。特に三味線が下手だと役者がいくら良い演技をしても質の高い歌舞伎にはなり得ません。

また、それなりの人数も必要です。そのため三味線奏者の育成には特に力を入れ、プロを師匠に迎えて練習を続けてきたことが質の高い芸を維持することができた理由といえます。

また、かつて地区の中には歌舞伎好きが高じて一座を組み世間を渡り歩いた芸人も何人か排出しました。芸名の入った幟旗がたつのはその当時からの習慣です。

さらに一戸あたり千円程度の徴収と花(ご祝儀)だけで上演できるのは、台本・衣装・かつら・大小道具を先人達が買い求め、また制作しておいてくれたおかげなのです。

歌舞伎公演が近づくと色々な仕事をこなさなければなりません 農村歌舞伎を地域の人が総出で支えています
  江戸時代より連綿と受け継がれてきた歌舞伎衣装・小道具
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